永遠も半ばを過ぎて
TL上で中島らもの文章がこの「永遠(とわ)も半ばを過ぎて」より引いてあって、衝動的に読みたくなった。
見事に引き込まれる文章。
章ごとに主体を明示しないまま「おれは」と主格が登場人物間で変わっていく。
無論文章もその人物を反映している。その切替のうまさが良かった。
「騙す」という多くの人の非日常が軸であり、睡眠薬を飲んだときのトリップしたような精神的高揚、ダークサイドに落ちてゆく過程を主人公とともに味わえる。
作者自身の経験を踏まえた深さがあって、良い。
以下素晴らしいとおもった文章の書抜。
永遠も半ばを過ぎた。
私とリーは丘の上にいて
鐘がたしかにそれを告げるのを聞いた。
私たちは見上げる。満天の星を。
永遠の書物を。
私とリーはまだその表紙を開いたところだ。
いずれにしても、立ち上がりそして立ち去らねばならない。
星々の香気を追って、旅を始めねばならない。私はリーの細い手を取った。-p79
この素晴らしい情景が浮かんでくる文章。
春か夏、男女が自然が豊かで人家がぽつんとしか見えない丘の上に二人寝っ転がって、空を見上げる。
そうすると天の川が目の前に豊かな流れとして現れ、星を見上げる。
満天の星、永遠の書物を目の前にして感動を味わう。
そして旅、細い手を取ったときて時の流れに消えてゆく2人の余韻。
孤独というのは、「妄想」だ。孤独という言葉を知ってから人は孤独になったんだ。同じように、幸福という言葉を知って初めて人間は不幸になったのだ。
人は自分の心に名前がないことに耐えられないのだ。そして、孤独や不幸の看板にすがりつく。私はそんなに簡単なのはゴメンだ。不定型のまま、混沌として、名をつけられずにいたい。この二十年、男と暮らしたこともあったし一人でいた事もあったけれど、私は自分を孤独だと思ったことがない。どうしてもというなら、私には一万語くらいの名前が必要だ。-p181
はじめに言葉ありき。
人間は名前をつけなければもやもやして仕方がない。
心が名前を決定し、名前が心を決定する。
厄介なるもの哉、人間。
それを「1万語くらいの名前が必要」とは全くすごい。
岩はこう言った。
”永遠とは私、およびそこに転がっている丸太のようなものだ。切って開いてみよ。底に切断面はある。これが貴方がたにとっての『世界』だ。
しかしこの切断面に厚さはない。
貴方がたは厚さのない世界に封じられている。
この切断面の集積によって、岩、丸太、宇宙、時間は形を成している。
それがどういう形であるか、貴方がたに知る術はない”-p201
アフォリズムの例として書かれてある。
